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あおぞら裁判・完全勝訴判決

弁護士 森田 茂

1 判決
 名古屋南部大気汚染公害訴訟(通称「あおぞら裁判」)については、この事務所ニュースでも何度か紹介してきましたが、2000年11月27日、名古屋地方裁判所で、ついに1次訴訟の判決が言い渡されました。

2 あおぞら裁判のこれまでの経過
 1989年3月31日、名古屋市南部・東海市の住民は、名古屋南部地域に工場等をもつ企業11社(但し、その後1社に対しては取り下げ)と国道1号・23号等の道路設置、管理者である国を相手取り、名古屋地方裁判所に対して、名古屋南部大気汚染公害訴訟(1次訴訟)を提起しました。続いて、1990年10月には、同じく2次訴訟を、1997年12月には3次訴訟をそれぞれ提起しました。この裁判の中で住民たちは、国と被告企業らに対して、損害賠償と一定量以上の汚染物質の排出差し止めを求めています。当初は、1次訴訟から3次訴訟まで合計293名の原告がいましたが、1次訴訟の提訴から数えて既に約11年半が経過し、その間に96名もの原告が亡くなりました。

3 判決当日の朝

 判決当日の朝には、裁判所前に原告や数多くの支援者が集まり1000人規模の集会が開かれました。また、裁判所前の道路は通行止めとなり、マスコミ各社の中継車やテントが並ぶという光景となりました。そして、午前9時40分、原告団・弁護団約90名が法廷に入り、多くの原告や支援者は、裁判所前で判決の報告とを待つという状態になりました。

4 判決の内容
 そして、午前10時、張りつめた空気の法廷で、ついに判決の言い渡しが始まりました。判決は、国に対して、総額約1800万円の損害賠償と国道23号線について一定量以上の汚染物質の排出の差し止めを、被告企業10社に対しては、総額約2億9000万円の損害賠償を、それぞれ命じました。それだけでなく、判決の理由の中で、裁判所は、国の公害防止対策の怠慢を厳しく指摘しました。画期的な勝利判決です。この勝利判決を確信を持って予測した人は弁護団の中にも(おそらく)いないと思います。それだけに判決を聞いたときの喜びはひとしおでした。判決の結果は、すぐに裁判所前の原告や支援者にも伝えられ、歓喜の声が起こりました。泣いて抱き合う患者や手にした遺影に勝利を報告する遺族の姿も数多く見られました。

5 判決の影響
 この判決の影響は大きく、環境庁は、翌日、5省庁連絡会議を開催し対策を協議しました。やっと名古屋南部公害の問題に対して重い腰を上げたのです。それだけでなく、政府が現在検討しているNOX規制法の改正についても、より厳しい規制の実現を迫るものとなりました。

 また、全国各地の大気汚染公害訴訟にも影響を与えました。大阪高裁に継続していた尼崎公害訴訟については、直後の12月1日に和解による全面解決が発表されたのです。東京地裁に係属中の東京大気汚染訴訟にも大きな影響を与えたことは間違いありません。

 この判決のニュースは、マスコミ各社で大きく報道され、号外を出した新聞社もありました。そのことからも、判決の社会的影響が如何に大きいかが分かります。

6 今後
 ただし、これですべて解決ということではありません。1次訴訟は、双方控訴の上、名古屋高等裁判所に舞台を移すことになりました。真の解決のために、国や被告企業を早期に和解に応じさせる必要があります。そのためには今後も努力を続けていかなければなりません。原告団・弁護団・支援者らは、判決のあったその日に被告会社らと早期全面解決に向けての交渉にのぞみ、その交渉は深夜に及びました。
また、翌日には、東京で各関係省庁との交渉を行い、さらに翌々日には、愛知県及び名古屋市との交渉を行いました。連日の集会や交渉で疲れがたまっているにもかかわらず、これらの交渉の中でも、患者やその遺族の人たちは早期全面解決を必死に訴えました。

7 多くの人たちの支援
 提訴以来約11年半となるあおぞら裁判は、あおぞら裁判を支援する会や全国各地の大気汚染訴訟原告団・弁護団をはじめ、数え切れないほど多くの人たちによって支えられてきました。たくさんの力が積み重ねられた結果、この判決を勝ち取ることができたのです。

8 第一法律事務所からも参加
 30名弱の弁護士で構成されるあおぞら裁判常任弁護団には、当事務所から、原山(恵)・北村・藤井・森田の4名の弁護士が参加しています。また、この判決に伴う仮執行の手続には、江崎・安田・村井・細江・佐々木の5名の事務局員が参加しました。この歴史的判決に当事務所から多くの所員が参加できたことは、本当にうれしいことです。

 あおぞら裁判の早期全面解決に向けて、これからも全力で頑張っていこうと思います。以上