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日本IBM女性社員配転事件

 日本IBM名古屋支店に勤めるHさん(47歳)には瑞浪市にある実家に年老いた病身の両親と歩行困難でぼけ症状が出だした95歳の祖母、それに末期癌で寝たきりの叔父がいた。Hさんは三人姉妹の長女で、姉妹はいずれも仕事を持っている。両親が叔父の看護にあたり、Hさんら三姉妹が交代で祖母の介護にあたる。Hさんの担当は土曜と日曜。春日井市に住んでウィークデーは残業もこなし、土日はまるまる介護にあてる。これがこれまで4年間のHさんの生活であった。
 介護は重労働で長期にわたる。分担しなければ続かない。Hさんが介護の一翼を担うことは家族にとって不可欠であった。他方、介護のために仕事を辞めれば介護が終わっても仕事は取り戻せない。毎日仕事と介護の両方をこなせばHさん自身が倒れてしまう。この方法はHさんにとって働くことと介護を両立させるためのぎりぎりの方法であった。
 そんなHさんに1999年8月幕張事業所への配転の打診があった。幕張へ行けば瑞浪まで片道最低四時間はかかる。Hさんは仕事を辞めるか、介護を放棄するかどちらかの選択を迫られる。こんな配転を受忍しなければならないのか。JMIU・IBM支部名古屋分会から相談を持ちかけられたのは1999年10月中旬であった。11月1日つけで配転命令が出そうだという。時間的余裕はなかった。直ちに配転命令の効力を停止する仮処分の申立手続きに入った。
日本IBMには2万1000名余の社員がおり東京周辺だけで1万人いる。何も名古屋から介護責任を抱えるHさんを幕張に配転しなくてもいいではないか。これは誰もが感じる素朴な印象だと思う。(真のねらいは名古屋支店のリストラ、Hさんの自主的退社であった。)しかし、こと司法の場では配転の必要性はきわめて緩やかに解釈される。被配転者の方に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限り」許される(東亜ペイント昭和61年最高裁判決)。すなわち配転を拒んで解雇されたら解雇が有効となってしまう。介護はいつかは誰もが我が身にふりかかる問題である。Hさんが負けることの社会的影響は甚大であり、絶対負けることはできない。といって前記東亜ペイントの判決は重い。
 私たちは和解の道を選んだ。日本IBMもまた介護問題で社名が傷つくことを恐れたようである。2000年1月30日に和解が成立した。Hさんは幕張に赴任するが、金曜日は午前中に勤務を終え、土日は実家で介護をして月曜日は午後1時までに出勤すればよいことになった。単身赴任手当、帰省費用の例外的支給も認められた。将来Hさんが祖母と同居して介護しなければならなくなった場合は2ヶ月以内に常時介護が可能な勤務地に再配転することも盛り込まれた。Hさんの遠距離通勤の負担は重い。しかし和解ができた日のHさんはさわやかな笑顔であった。
                     (2000年夏号 弁護士 福井悦子)