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冤罪名張事件の現在

名張事件奥西弁護団 弁護士 稲垣仁史


 一人の無実の男性が、死刑の危機に瀕しています。
30年以上の長きに亘って獄につながれたまま・・・。

 事件は、1961年(昭和36年)3月に発生しました。三重県名張市の公民館で、地域住民の懇親会の席に出されたブドウ酒を飲んだ女性17人が苦しみだし、そのうち5人が死亡しました。飲み残しのブドウ酒などからテップという毒物が検出されたため、毒物混入による殺人事件ということになり、公民館までブドウ酒を運んだ奥西勝さんが犯人とされてしまったのです。その後の刑事裁判において奥西さんは一貫して無実を主張し続け、第一審の津地方裁判所は正しく無罪の判決をしましたが、上級審の名古屋高裁は奥西さんの犯行であるとして死刑を言い渡し、最高裁判所も同様の判断をしたため死刑が確定し、以来奥西さんは死刑の恐怖に脅かされながら拘置所に閉じこめられているのです。
 この事件では、奥西さんを犯人だとする物証が何もありません。当初、奥西さんは警察の執拗な取調べに対し、つい「自分がやった」と言ってしまいました。しかし、農薬ビンを捨てたという場所からはカケラ一つ発見されず、農薬入り竹筒を燃やしたという囲炉裏からは竹の燃え殻も(燃やせば当然残っているはずの)燐も検出されませんでした。第二審が有罪認定の重要な根拠の一つとしていた唯一の物証であった、「ブドウ酒瓶の王冠についていた歯の痕は奥西さんの歯によるものである」との鑑定結果についても、第5次再審において、写真の倍率をごまかしたものであることが明らかとなりました。それにもかかわらず、裁判所は、一旦下した有罪認定を見直そうとはしていないのです。
 弁護団は、第6次再審において、当時の捜査本部長の捜査メモである「中西ノート」を新証拠として提出しました。ここには、「奥西さんには犯行の機会がなかった」ということを裏付けるような第三者供述の存在が記されているのです。しかし、第6次再審についても裁判所の門は堅く、名古屋高裁は請求も請求棄却に対する異議もことごとく棄却したため、現在最高裁判所に特別抗告を申し立てているところです。
 このほか現在の弁護団の取組みとしては、@当時の物を正確に複製再現したブドウ酒王冠を使って、奥西さん以外の者が毒物をいれることが可能だったことを明らかにすること、A最新の技術によって、検出された毒物が奥西さんのものとは別種類のものであることを明らかにすること、などについて日々検討を重ね、これらが実現に向かっています。
 この事件については、日弁連も名張事件委員会を設置して奥西さんの弁護活動を支援しています。それほど、冤罪の可能性が高いということです。既に、多くの支援者の方が運動していますが、運動の力を更に高めて裁判所の門を開かせ、奥西さんの冤罪を晴らすために、是非とも奥西さんの支援活動にご協力下さい。

 事件や支援活動について、えん罪名張毒ぶどう酒事件のホームページもご覧下さい。

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