原爆症の認定を求める裁判始まる   弁護士 原山剛三
   
 
七月二三日、名古屋地方裁判所で、原爆症の認定申請に対する却下処分の取消と、
不合理な認定審査基準に基づいて認定を怠ってきた国に対し慰藉料の支払を求める
裁判の初回弁論が開かれた。この裁判の原告は、知多市在住の甲斐昭さん(七六歳)。
四月一七日、札幌、長崎、名古屋の三地裁で七人の被爆者が提訴し、五月、六月にも
東京、大阪、千葉等で数十名の原告が集団で提訴している。
 一九四五年八月六日、広島県大野町にあった海軍潜水学校で授業を受けていた
甲斐さんは、上官から救援活動を命ぜられ、同期生らと共に原爆投下直後の広島市内に
入り、瓦礫に埋もれた遺体を掘り起こしたり、遺体の運搬や焼却、負傷者の介護、
銀行の警備等に従事した。その作業は爆心地近辺で行われ、翌七日までの二日間に
わたるものであった。
 救援活動の後ほどなくして、下痢、出血、脱毛などの急性症状が出現、その後、
頚部リンパ腫、甲状腺悪性腫瘍、胃潰瘍等の発症に見舞われ、延べ一三回にも及ぶ
手術を受け、現在も治療を受け続けている。原爆により、青春と健康を奪われ、
不条理にも人生を狂わされてしまった甲斐さんの苦痛、怨嗟は想像を超えるものであろうと
思う。
 甲斐さんの疾病が原爆によるものであることは明らかと考えられる。
国の原爆症認定の審査基準が、原爆による被害の実態を正しくとらえ、
これに照応するものとなっていないことが、甲斐さんのような入市被爆者への認定を
妨げている。長崎の松谷英子さんが認定却下処分の取消を求めた裁判で、最高裁は、
認定基準が未解明な部分を含む推定値であって、その見直しが進められていることを
指摘して、その機械的な適用を戒め、認定基準の不合理性を示唆した。しかし、
厚生労働省は従前の基準を基礎とする小手先の手直しに止め、その抜本的な改正を
怠ってきた。このような原爆症認定審査基準と審査のあり方を、根本から問い正し、
是正していく運動を全国で大きく進展させるため、今回の集団認定申請、集団提訴と
なった。
 戦後五八年を経た今もなお、悲惨な戦争の惨禍は失せない。七〇歳を超える高齢の
被爆者は、異口同音に「最後の闘い」ととらえている。その並々ならぬ意志と情熱は、
原爆被害の決して消えることのない深刻さを後世に伝え残し、人類の記憶にとどめること、
ふたたび被爆者を生み出させず、核兵器の廃絶を獲得する、という強烈な使命感に
支えられている。被爆者のこの願いは、被爆国日本の国民のそれでもある。認定行政の
一大転換を求める集団訴訟が、新たな運動の高揚への確かな第一歩となることを
期待したい。

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