■ 「まもれ九条」の一点で名古屋市公会堂に3200名      弁護士  加藤洪太郎
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 2005年11月3日は文化の日。
日本国憲法公布五九周年の記念日でした。
その日、名古屋市公会堂は「まもれ九条」の一点で集まった3200名で全館が埋め尽くされました。
愛知九条の会が主催するこの集まりは二〇〇四年に次いで二回目です。

この一年に、地域・職域で100を越える九条の会(愛知県内)
  2004年2005年の違いは、
@ この一年の間に愛知県内で、例えば「おかざき九条の会」というように地域や職域で100を越える九条の会が
   続々と結成されてきたこと、
A大集会に高校生まで出演するなど若者の登場を見るようになったこと、等が顕著な変化でした。

その時、大人たちは何をしてたのか!
  さて、その若者たち、「九条が改訂された2010年」を想定した自作演劇の一場面を紹介。
友人を失った場面。
戦死だ。「なぜ、あのとき憲法九条の改訂を許したんだ!その時、大人たちは何をしてたのか!」と叫ぶ場面に
3200人の会場から思わず「そうはさせんぞ!」の声が飛んだ。
  イラク戦争でのアメリカ同盟軍ナンバーワンのイギリス軍で犠牲となった戦没者は2005年11月末現在で
97名(CNN報道)。
九条改憲ともなれば、日本自衛軍の犠牲はこの比ではなかろう。
60年ぶりに英霊が次々と靖国神社に帰る日のあることは確かに現実の脅威だ。

充ち満ちる草の根エネルギー
  この国の近未来の行く末を固唾をのんで心配し、「今、何かしなければ…」と思う方々は表面で見るよりははるかに多い。
こうした草の根エネルギーに充ち満ちた様子がうかがわれた集会でした。
  2006年の5月3日や11月3日の憲法集会、今度はあなたものぞいてみられたら如何でしょうか。






















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「まもれ九条」を心に集まった3,200名もの人々