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「名優」

弁護士 藤井浩一

 俳優の滝沢修さんが亡くなった。
 この名優をはじめて観たのは、劇団民芸の「火山灰地」の舞台である。
 やせた火山灰地に適した作物を研究する技術者の役で、研究方針で恩師と激論をかわした後、黙って舞台の中央に歩み寄り、作物の育ちぐあいを見るようにかがむ。そのわずかな時間の演技にひきつけられた。恩師に逆らった後の孤独感や、それでも自分の方針を貫こうとする意思など、技術の万感が伝わってきた。
 新聞の知り合いの誰れも、この演技を賞賛しないだけでなく、話題にもしない。今ではすっかりなくなった感受性が当時まだ私にあったので、その過剰反応かと疑った。しかし、他方で自分の感覚を信じようともした。
 後に観た、「セールスマンの死」「夜明け前」「オットーとよばれる日本人」「炎の人ゴッホ」など、いずれもすばらしかったが、「火山灰地」の演技の印象が最もあざやかである。
 今年の夏、加藤周一さんが朝日新聞に掲載している『夕陽妄語』の「名優たちの思い出」を読んで、長年の胸のつかえがとれた。そこには、名優には「一挙手一投足にまで行きとどいた芸」と「舞台にあらわれるや、観客を捉えて離さない、一種の強い存在感」があり、それは山本安英にも滝沢修にも、野村万蔵にもあった、と書かれていたのである。
 ある年の元日、ラジオから流れる琴の音を聞きながら新聞を読んでいると、滝沢さんの朗読が始まった。柔らかく、しかも明瞭で艶のある語りは、何もない小さな部屋を華やかにするようだった。今年こそ何かいいことがありそうな気さえした。もっとも、その年には何もなかったけれど。
 この品格のある名優に続く人があらわれるのを待ち望んでいる。